小児脳幹部グリオーマ治療のまとめ

2017年4月に発症。治療・闘病の記録

中盤戦
 
 6月5日の放射線治療終了から腫瘍再発、二次照射まで。

放射線治療後

いわゆるハネムーン期間。数か月、腫瘍が小康状態となる。すでに聖路加国際病院で二次照射をして頂くコンセンサスを取っており、しかも、二次照射をしている病院を他にも知っており、この点は安心。休職もしており、息子と4日連続で映画を見に行ったり、メイクアウィシュさんの手引きで、TDLに行ったりする。

6月にとったMRIでは腫瘍の一部壊死は見られたものの、腫瘍の縮小は見られず。7月中旬のMRIでは、腫瘍の縮小がみられた。6月5日に放射線治療を終了したので、ある患者さんの親御さんから言われたのは、「放射線が実際効いてくるのは、1.5か月から2か月後」とのこと。だから、ちょうど1.5か月後に効果が出てきたということか。

放射線治療は、うまくいったようだ。

体のコンディションはと言うと、左手左足に麻痺が残る。より目も治らず。複視は「遠くでは一重に見えるから、映画は問題ない」と言っている。近距離では、「お父さんは二人見える。」と言っている。自力歩行はできるが、肥満もあいまって、長距離は歩けない。メークさんと行ったTDLは、終始車椅子に乗っていた。

復学

ソーシャルワーカーを通じて、小学校と折衝。6月7日から小学校に復学。
しかし乍、ステロイド(抗炎症のデカドロンという薬)の副作用による肥満であまり、気持ちの良い学校生活ではなかった。

ステロイドによる肥満

うちの息子の闘病生活で、これをなんとかしてやれなかったことが最大の後悔。
ステロイドによる肥満で診断時22kg→現在38kg(身長は125cm)
これはつらいです。
顔もムーンフェイス。息子の心は、大きく傷つきました。
これをどうにかしてやれなかったことは、親としては、一生背負わないといけない。
今後この病気にかかった親御さんでこのページを見た方は、ぜひ、ステロイドをよけることにチャレンジして欲しい。

つまり、医者としては、この病気は、クリティカルな病気だから、副作用とか気にせず、ぽんぽんとステロイドを処方しがち。親としても、もう放射線治療が終わった。放射線治療中はムーンフェースが進んで、マスクが入らなくなる可能性もあったが、それも終わったので安心して、ステロイド飲ませられる。

ところが、息子の心は、自分が思っているより傷ついている。放射線治療が終わり、
街に出れるようになって、外を歩くも、すれ違う人にじろじろ見られる。寄り目、肥満、麻痺。特に、極度のムーンフェースは人目をひく。

ステロイドをよける方法がいくつかあるようだが、ぼくは何も知らなかった。

この悔しさも、このHPを作ろうと思った理由。なにも言わずにステロイドをぽんぽん出す医者というのは、心無い。

余力があれば、ステロイドをよけることに努めてほしい。このサイトがその一助になれば幸いである。

肥満による容姿の変貌と時々透けて見える本音

ハネムーン期間の思い出作りとして、7月下旬から、二週間石垣島に滞在。しかし乍、息子はなかなかアクティブになれずあまり楽しい旅行にならなかった。
親の一方的な思いが先走った石垣島という場所選び。実際に発病したのが4月だったので、この夏が思い出作りなのかと。病気の知識も蓄積されていった5月ごろに飛行機と宿を抑えたと思う。しかし乍、麻痺と肥満が会いまった体にて、また小学校一年生という精神年齢だったり興味もあり、あまり積極的に海に行かず。

「となりのホテルに大きなプールがあるから行かない?」
「顔見られるから嫌だ。」

つまり、この旅行の間も息子の心は傷つきまくっているたのです。リゾートなので家族連れが多い。寄り目でものすごい肥満の子が居る。子供たちはじろじろ見る。つまりガン見してくる子というのが一定割合いるのです。親としては、容姿の変わってしまった子供の心をどのように守ってあげるべきか。どういう思い出作りの旅行だったら正解だったのか。今でもこの旅行の在り方が良かったのか。わからない。

家から一歩も出ず、好きなレゴ作りをずーっとさせるのも一つだが、親の気分が晴れない。

親である自分も、このころ何に苦しんでいるのか、訳が分からなくなりつつある。朝起きても「ああ夢じゃないんだ。」という悪夢が覚めない感覚が、4月からずっーと続いている。

一方、小学一年生というのはメンタルの面でものすごく成長期にある。こんなクリティカルな病気でも、息子との日々会話の内容は日進月歩で向上している。途中から、アクティブな次男と妻というコンビと、アクティブではない長男と僕というようにグループがわかれた。そして、どうしたかというと、ドライブに行くようになった。これは良かった。ドライブは良い。自動車で島を走りながら、息子と二人いろんなことを話した。

時々、会話の流れだが、息子の本音が見える。次男に対して「お前も薬たくさん飲んで、こんな顔になればいいんだよ。」と言ったことがあった。このころ、顔と体の変貌は薬のせいでそれは女子医大に行けば少しずつよくなると説明している。体より顔を気にしているようだ。もともと、保育園のころから自分の顔を鏡でしげしげと見るおナルなタイプだったので、ぱんぱんに膨らんだ自分の顔を鏡で見て傷ついている。親によっては鏡を見せないようにする人もいるらしいが、正直そこまでやっていない。滞在先のホテルも、部屋の真ん中に鏡があるし、洗面台にも鏡がある。ホテルにいちいち「鏡をどけて」とかお願いしていない。

病気になって、麻痺による体の状態の変化。また、容貌の変化により、息子の人格は明らかに変わった。しかし、所詮小学一年生は小学一年生。とにかく楽しく遊ばせようと思う。いろいろなことを気にしていても仕方がない。

親の心理

日々、何に苦しんでいるのかわからない。これまでの人生を振り返らざるをえなかったり、1年後この家族はどうなっているのかという思いもある。ただ、実は弟が23歳で他界しており、私の父からは「俺たちは突然の出来事でお別れすらちゃんとできなかったんだ。」と言われた。やはりそう考えるべきなんだろうと思う。交通事故などで突然、子を亡くす親も世の中には多い。やはり、この間はとにかく息子と寄り添ってあげることだと思う。それができていれば、よけいなことは悩まなくてよいのだと。時々強烈な虚無感だったり悲しみに襲われることがある。まだ診断から半年たっていないが、もう2-3年経ったような濃い時間を過ごしている。

後頭蓋窩外減圧術(8月中旬)

正確には、「びまん性神経膠腫に対する後頭蓋窩開頭減圧術および環椎椎弓切除術」と言います。事故のあった女子医大で、事故を起こした薬プロパフォールを投与して行いました。ただし、この時点で藍原先生という方の人間性、人格に触れ、信頼できると思っていたので、なにも心配せず、書類もさっさとサイン致しました。

手術の流れ的には、8:30に親と手術室へ。マスクから呼吸にて麻酔導入。その後、中心静脈ラインという、股の付け根から、ライン?を取るということをしました。血圧とかそういうもののセンサーなのでしょぅか。それらの下準備が終わり11:00ごろから手術、そして、15:00頃終了し、ICUに呼ばれました。当日は、ICU泊。翌日から普通病棟。

無事に終わりました。やる前に、患者会の先生から、極端な意見を頂きました。「しないほうがいい手術ではなく、やってはいけない手術」など。
たしかに、女子医大でプロパフォール投与して行う手術なので(患者会の医師らが反対してるのは、そこではないのだが)、普通だったら、お願いしなかったと思います。しかし、状況としては、病気が病気。状況が状況。だったために、また、何度も言ってますが、藍原先生という方の人格。これらが相まって、思い切ってお願い致しました。

ただ、危険性から言うと、確かに、全身麻酔の開頭手術なので、当然生命リスクもあるのでしょうけど、し、か、し、な、が、ら、、、①MRVというMRIの血管版にて、血管造影を行い、手術箇所の血管の走り方をキチンと確認している。②キアリ奇形という病気の子にも行う手術にて、この先生はこの病気の子に対して、年間この手術を何件も行っている様子にて、ある程度の症例をこなしている。という点から、藍原先生のチームがこの手術をするという点では、まったく無茶な手術ではないということです。

特にMRVというのが、血管の位置がものすごくしっかり出る。
「xx君のケースだと、手術箇所の小脳の上の部分の頭蓋骨のところには、血管はあまり走ってません。」という説明を手術前に受ける。

=術後の経過=

手術後0日目・・・ICUで寝る。術後だから意識が無い感じ。
手術後1日目・・・普通病棟に移る。頭の痛みを訴えるグロッキー状態。仰向けに寝ている。
手術後2日目・・・ごはんはおかゆだが、通常食を出される。食欲はあまりなく完食はしなかった。導尿カテーテルは午後抜いた。点滴は股の付け根の中心静脈ラインから入れている。主に抗生物質を入れているようだ。まだまだしんどそうだが、身体を起こして座っている。DVDを見始める。頭の痛みはそんなに訴えないが、ピンという頭の傷を閉じるホッチキスのようなものがまだ入ってるから痛いのだと、医師から説明。

術後4日目・・・点滴に使っていた中心静脈カテーテルを抜かれる。20cmぐらいの長さの管が身体に入ってたらしい(この日はおじいちゃんが担当にておじいちゃん談)。また、頭のバンソウコウをはがされる。頭を閉じていたピンはまだそのまま。どちらも痛かったようだ。バンソウコウは髪がひっついてて痛かったとか。
このころ、一つのことに気づく。目が、寄り目の症状が緩和されている。息子の右目は、グーッと中に入っていたのだが、右目が少しもとの位置に戻ってきた。これは、想定外。そんなことを期待していなかったが、そんなことが起きた。親としては嬉しい限り。脳の状態が緩和されているのだと思う。この日からリハビリ開始。歩行訓練。今のところの退院予定は、8/26とのこと。うーん。長い。途中から外泊にならないのか。。
5日目・・・昨晩は痛くて夜中眠れなかったりしたようです。まだ、歩けていない。ピンも入ったまま。昼食は冷やし中華だったが、吐く。
8日目・・・頭のピンを除去。少し痛かった模様。
9日目・・・MRIを撮って退院。今後は、一気にステロイド(デカドロン)を断薬せず、少量を3か月ぐらい使うという話。これは今の体の状態は、長い期間ステロイド投薬になれており副腎皮質ホルモンを自生していない状態だからとのこと。

退院の際、藍原先生がおられず、千葉先生とお話しした。千葉先生は、脳幹部腫瘍については、やはり化学療法だと思っており、外科医ながらも、化学療法にもいろいろ詳しい先生だと思います。エピジェネティックの話などした。単純にH3K27Mのミューテーションだけで起きているとは考えにくいとのこと。外科医だが、化学療法についてもいろんなことを相談できると思います。

退院後、家でリクエストのすき焼きを行う。息子は、今半の肉を1、2枚食べて、お腹いっぱい。
明らかに食欲が元に戻っており、これは今後痩せてゆく傾向にあると思う。デカドロンは、手術前1mg/日→手術後0.5mg/日と半分になっている。

=生活への影響=

骨を取った部分は、後頭部を横向きの楕円で想像以上に大きく骨を除去してました。また、正式名所にあるように、首の一番上の骨もとってます。首の一番上の骨は、背骨の幅だけ取っている。そこも減圧箇所になるのだと思う。

手術後の先生との会話で驚いたのが、先に書いたが、この手術を受けて激しいスポーツをしているお子さんが居る。一人は柔道。一人はサッカー。それでもって、この子たちはたぶんキアリ奇形の子なのかもしれないが、骨を戻していないとのこと!つまり、頭蓋骨の後頭部に大穴があいた状態でこれらのスポーツをしている。サッカーはヘディングがあるし、柔道は、大外刈り掛けられたら、後頭部打つこともあるよね。なんでできるの?驚き!

でも、冗談でもなんでもなく、先生との普通の会話でそうおっしゃっていたのでそうなんだろうけど、、、今日の時点では、どういうメカニズムであの手術を受けて、頭蓋骨にあんだけ大穴があいて、そういうスポーツができるのかは、謎。

退院の際、千葉先生と会話。今後の生活では、プール、風呂はok。ジェットコースターはNGとのこと。

=プロパフォール=

手術中に反応を見るモニタリングというのを行う。その場合はプロパフォールという麻酔薬を使う。ただし、この薬を使うのは手術の間だけで、その後は使わない。親御さんが「どうしても使わないでくれ」というなら使わないが、使ってもよいのであれば、我々としては武器が一個増える。というご説明でした。

例の事故の話はあまりしませんでしたし、こちらも聞きませんでした。もう、この時点では、僕は先生を信頼していたので「お任せします。」の一言です。
なぜあのような事故が起きのかは、私は存じません。ただ、このプロパフォールという薬。要するに手術中にモニターを取る場合は、このプロパフォールでないとできないとのことです。事前説明頂いた際には、麻酔科の先生は、非常に説明にご苦労されてました。

モニターというのは、麻酔下においても脳が正常な状態に、つまり、手術中、脳死になってないかどうかを判断するということだと思います。この手術で息子のケースだと音でやってたようです。ヘッドホンで音を流して、反応を見るというような説明でした。パンピーなので、良くわかりませんが、患部、つまり脳幹には触らない手術だったので、そんなの要るんかいな?という感じですが、万全を期す方法なんだと思います。しっかりされてます。

=最初からこの病院でやった場合=

自分の子供は、地元の病院で放射線→ステロイド漬けで超肥満→女子医大で減圧術。という途中編入だったので、この病気で最初からこの病院だったらどうなのか、今後この病気に掛かっちゃった人のために聞いておきました。

手術して、手術後1週間~10日後、放射線治療開始だそうです。ピンを取ってから放射線治療をするというのだそうです。
ピンが入ったまま放射線治療はできなくはないだろうがやったことはないとのこと。

従い、診断から結構たってからの放射線になるとおっしゃってました。

と、こ、ろ、が、です。

一つ考えてほしいのは、うちの子のケースでも、診断から10日掛かってます。
だから、減圧術をしてから放射線治療を開始しても大差ないと思います。

また、放射線科としっかり連携をして、放射線開始日を決めてから手術するともおっしゃってました。
ですので、火急的に放射線が必要なケースとかだと、この限りではないと思います。先に放射線を取り急ぎ掛けたりすると思います。

いずれにしても、スタンダードなプランだと、外減圧術→10日後から放射線 というような感じです。

=女子医大=

女子医大という病院は、2chとかでボロカス書かれており、「医者もどき」とか、「男性医師は出身大学がそれぞれ違うから、連帯感も責任感も希薄、横の連携が取れていない。」とか、「脇坂恵理子の母校」とか、「うちの家族も手術直後に死んだ」とか、なんかさんざん言われてますが、この藍原先生のチームは、そんなことは一切感じません。非常に信頼に足るチームです。この病気に掛かったら、藍原先生はまちがいなくお会いすべき医師の一人です。人物です。だから、色眼鏡で判断しないで方が良いです。すくなくともこの先生とこのチームは非常にすばらしいです。手術後に「先生すみませんが、ステロイドを減薬・断薬するところまでご面倒お掛けしてよろしいでしょうか。」と言った際、「面倒なんてとんでもない。そこまで当然面倒見るし、そうでなくては、声かけないよ。」とおっしゃっていただいたのは、生涯忘れらない。この病気に掛かったら、人間としての器量も含めこの先生とお会いすることをお勧め致します。

手術後一か月(9月12日)

9/8~11まで北海道に旅行に行って帰ってきた。そして、今日息子が「気持ち悪い」と訴える。キャンプ疲れなら良いのだが。
いずれにしても、ものはちゃんと食えているし、呂律も回っているので、再燃はまだ先だと信じたい。
トイレまで歩くのがしんどいと、リビングでペットボトルでおしっこした。そして、「病気ってたいへんだ。」と
今まで一切吐かなかった弱音を吐いた。申し訳ない気持ちでいっぱいである。取り合えずアマゾンプライムで尿瓶を買うことにした。

再燃(9月15日)

女子医大にてMRI撮影。予定の診察に無理やりMRIを取って戴くことをお願いし、ご対応頂く。
これまで、脳幹の左側にあった腫瘍に加え、右側部分にも広がっていることを確認。

歩行が一気に悪くなるが、誤飲はまだないがせき込むこともしばしば。排尿も時間がかかればできるが、尿瓶で取ることが多い。
6月5日に放射線治療を終え、そこから、6、7、8、9月中旬と3か月半のハネムーン期間。
個人差はあるのだろうけど、もう少し長いものだと思っていた。なかなかショックだった。
外減圧術で減圧しているのに、「気持ち悪い」と言うので、嫌な予感はした。
お腹の風邪かもとしれないと少しだけ希望を持っていたが、まっすぐだった左目も寄り目になっていることもあるので、あれ?と思っていたが、
これまでの経験などから、あらゆる点を考慮しないといけないという判断が働いて、MRIを急きょ取って戴いた。

右半分の顔面麻痺が進み、よだれが口から出てくる。小尿も出にくく、トイレに立って大分時間が経ってから出る、もしくは出ない。
三半規管にも影響しているのか、仰向けで寝そべると「地震だー」と叫んだり。いち早く二次照射を掛けたい。

ホームの病院での診断
一次照射を行った病院でもMRIを取る。そして診断。というか話し合い。
・二次照射・・・これについては、明日、放射線医と話しをすることに。
・ポート作り・・・中心静脈CVラインを手術でつけることにより、薬の投与、採血をしやすくする。
         血管が肥満により取りづらくなっており、女子医大でMRIを取る際に、針を刺されまくった。
         ポートがあれば、誤飲により肺炎にかかったときも、さっと、抗生物質を投与できるとか。
<そもそも、もっと早くやっとけばよいのでは、、外減圧と同時にやっといたらよかったのでは、、、>
<ポート作りは、ステロイドの肥満による血管の取りづらさを解決してくれるので有効>
<これは、この闘病を振り返って、外減圧術と同様、もっと早いタイミングでやるべきだったか検証したい。>
          いずれにしても、ポートを作ることを勧められたので、全身麻酔のポート設置手術を受けさせることに。
・人工呼吸器問題・・・呼吸が弱くなった時、人工呼吸器つけるかどうか。病院は、ネガティブな姿勢。
           つまり、呼吸は延髄だから、脳幹に近く、早めにSTOPするケースがある。意識が無くなる前に呼吸の機能不全が来る
           ケースもある。一方で、心臓は自律神経だから、脳幹部グリオーマでもなかなか止まらないケースがある。
           だから、人工呼吸器をつけたら、ずーっと植物状態で数年生きながらえるケースがあるとか。
           この病気においては、 心臓>>>呼吸器 という感じか。
           だから、二次照射の影響などで、呼吸がとまったりしたら、人工呼吸器をつけるつけないについて
           あらかじめ、方向性を決めておきたい。というような趣旨をホーム病院の主治医から言われる。
           なかなか悩む。患者会の掲示板や、点在する過去の闘病ブログを見るが、なかなかピンとくる答えはない。
           一つ可能性としては、呼吸が徐々に弱くなるパターン。これは、呼吸が弱くなるにつれて、意識が
           薄らいでゆく様子。このような場合は、モルヒネかなんか、気分の良くなる薬を投与して、逝かせてあげても
           良いのではないだろうか。この辺のスタディーをしないといけない。
           ある人のブログを見ていたら、人工呼吸器をつけたものの、結局1か月後、肺に痰がたまり、亡くなっていた。
           人工呼吸器は、二次照射の状況を見ながら考えてゆきたい。

今のところ、CVポート○、二次照射○、人工呼吸器(迷い中)、心臓マッサージ×という感じ。
心臓マッサージとかする人が居るけど、この病気において、そこまでの蘇生をやる意味を感じない。

要するに、意味のない延命行為がテーマではない。意識があるうちは、苦しみを減らし、意識がなくなったら、無茶な延命をしない。
これが私の今のところのベーシックな考え。これに沿うようにしたい。
明日、放射線医から、二次照射のリスクの説明などがあるだろう。もうこの辺になってくると終盤戦なのだろうか。まだ中盤のページに居たいのだが、、
明日からは、終盤戦のページに更新致します。

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